2007/03/13

紫亜さんは小悪魔としては最強

部屋の本を整理すれば、当然のように、
昔読んだ懐かしい本が出てきます.
面白いのは、本についたコーヒーのしみひとつでも、
「あー,このときは使い慣れないパソコンでExcelを使いながら
3*3行列の固有値問題とか微分方程式といてたっけ・・・」と
当時のことが鮮明に思い出されること。
あの頃、俺は若かった・・・。

そんな感じにいちいち昔を偲んでいると、作業は
全然進まないわけですが、作業の遅れに輪をかけたのが、
奥の奥にしまってあったたテンを見つけてしまったこと。
すっかり読みふけっちゃった。てひひ。


で、6巻に湖太郎の曽祖父である太郎と紫亜さんの
話が出てきます。つーか太郎さん,エリート軍人の
お嬢さん(茜さん)と公認のお付き合いしてるじゃないですか.
「卒業後はぜひ部下として・・・」って、なんて羨ましい、
もとい、なんて典型的な政略結婚なんだ。

どーでもいいことを少し。
茜さんと会っているのは関東大震災が起こった年=1923年。
紫亜さん(志摩)と出会ったのは、米騒動が起こった年=1918年。
23年のとき、太郎さんは詰襟を着ているので、おそらく
旧制高校(東京なので、たぶん一高)の学生さんです。」

とすると、ちょっとおかしいことになります。なぜなら、当時、
「末は博士か大臣か」と嘱望された子供は、旧制中学を
卒業するときに文官コース(学者を含むか軍人コースを
選択しなければなりません(陸軍で栄達を望むなら
尋常小学校卒業時)。つまり、

  • 旧制高校⇒大学⇒学者(博士)
  • 旧制高校⇒大学⇒官僚(⇒政治家⇒大臣)
  • 旧制高校⇒大学⇒財閥企業(⇒令嬢と政略結婚⇒次期総裁)
  • (陸軍幼年学校⇒)陸軍士官学校⇒陸軍大学校⇒将官⇒三長官(参謀総長、陸軍大臣、教育総監)⇒元帥府入り
  • 海軍兵学校⇒海軍大学校⇒将官⇒三長官(軍令部総長、連合艦隊司令長官、海軍大臣)⇒元帥府入り
というのが代表的な出世コースだったわけです。
茜お嬢さんのお父様が、仮に陸軍軍人だったとすると、
義理の息子にした上で「部下にほしい」というのは、
少々奇妙です。なぜなら、陸軍では陸大を卒業できるか
否かが出世の分かれ道であり、陸大に入学するには
陸士を卒業していることが必須です。その陸士は、
陸幼か旧制中学を卒業していることが入学条件です。
旧制高校上がりの人間が陸士に再入学するのは
当時でも稀で(「一高か陸士か海兵か」)、とする
ならば、太郎さんは完全に文官コースに乗っている
ことになります。まさか、「部下」にほしいといっても、
自分の身の回りをする副官がほしいという意味では
ありますまい。娘をやるくらいなので、将来、軍での
地位が保証された「部下」がほしいのでしょう。
そういうわけで、この設定は「奇妙」です。

では、その「奇妙さ」を認めたうえで、軍での栄達が
まったく見込めない太郎さんに娘をやろうなどという、
太っ腹な軍人とは、いったい誰なのでしょう。

1923年には、50歳前後。階級は最低でも少将。
参謀本部や陸軍省の要職を歴任。加えて、陸大卒。

陸軍大将になった人&軍内部での発言力(政治力)があった、
という限定をかけると・・・

  • 白川義則
  • 田中義一
  • 宇垣一成

この3人のうちの誰かだと思います。
あえてもう一歩踏み込むなら、白川は
閨房政治は好みませんし、宇垣はちょっと
はっきりしないところがある(昭和天皇はこの点で
宇垣を好ましく思っていなかった)ので、
田中義一だ!とここでは結論付けておきます。

1915年 参謀次長。
1918年 陸軍大臣(原内閣)。男爵授爵。大将進級。
1925年 立憲政友会総裁。
1927年 陸軍大臣(第1次若槻内閣)。
  同  総理大臣。 外相兼任(次官:吉田茂)。
1929年 張作霖爆殺事件で内閣総辞職。死去。

この経歴からすると、1923年の頃は飛ぶ鳥をおとす
勢いだなー。娘を有望な若者にやって身内を固めよう
という気持ちが出てくるのも分からないでもない。

さらに余談。太郎さんが陸軍に奉職して順調に出世すれば、
ちょうど、太平洋戦争の頃に中佐か大佐になってるんですね。
しかも、失脚したとはいえ、前総理大臣・田中義一陸軍大将が
岳父とくれば、これはもう、参謀本部作戦課部員でしょう。
なんと羨ましい・・・もとい、ぴたテンもこっちの方向でやれば
もっと面白かったですね。

あ、そうなると、紫亜も美紗も出てこないし、
湖太郎たちも出てこなくなるのか・・・(´Д`)

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

結局、そっちに走るのか。

TSR-2 さんのコメント...

>084

中の人が同じですから・・・。