2007/03/22

「本田はおにぎり」

フルバもようやく完結した。長かった・・・・・。
初めて読んだのが高校3年生の夏。そこから
高屋先生の入院などすったもんだがあって、
7-23巻を大学にいる間に読んだと。
いやー、何だか自分の修了より感慨深いw

“フルーツバスケット”は、作中においては、
非常に重要な意味を持ちます。それはつまり、
みんな自分にとっての居場所/存在理由を
求めて生きてるけど、それが見つかっていますか、
見つかってなければどこ/何だと思いますか、
という問いかけ。


思い起こせば1巻の「本田はおにぎり」シーン。

フルーツバスケットなんだから、当然、“おにぎり”
なんて符丁がつけば、ずっと動くことができない。
でも、誰かがいつか「おにぎり」をコールしてくれる
かもしれない。でも、やっぱり「おにぎり」をコール
してくれる人なんて、いないのかもしれない。
これが実社会の投影なわけです。こんな自分を
分かってくれて,受け入れてくれる人なんているのか、
でもいたら嬉しいよね、存在理由を見つけやすく
なるよね(=いなかったら存在理由なんてずっと
わからないままかもしれないよね)という、ある意味
シビアなお話。

この話では、本田透という少女が「おにぎりコールを
してくれる人」だったわけですが、その少女こそが
一番,「おにぎりコール」を必要としていた。まるで
ラッセルのパラドクスのような状況だったわけです。

高屋先生がうまいなあと思うのは、この軸が
ブレなかったこと。だいたい、連載物は出版社の
意向を跳ね返せず、作者も意図しない方向へ
進んだ挙句、もはや誰にも止めめられない状態になる
ことがめずらしくないのですが、この作品はブレが
なかった。しかも、人気を維持したまま、最初から
(細かい点は抜きにして)最後まで、大枠のテーマを
変えないで。

透も夾というパートナーを見つけ、今日子さんも
亡くなった後で勝也さんのところへ戻ることができて、
これでほぼ全員が“居場所”を見つけることができた
ことになりました。この状態こそ、「フルーツバスケット」の
最後に相応しい。

高屋先生、お疲れ様でした。
はじめて、ファンレターを書いてみる気になったw
書いてないけど。


個人的に、助演男優賞は由希。

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